大畠俄まつり2019-31

般若伝説が由来の祭り大畠「俄祭」

周防大島(屋代島)と橋で繋ぐ本土側の町、大畠(おおばたけ)
大畠にある鳴門神社(なると)と海原神社(うなばら)を奉る「俄祭」(にわかまつり)が豊漁と家内安全を祈願し9月15日に開催されました。
この祭は全国的にもとても珍しい形態の神輿の曳き回しを行うため"奇祭"とも呼ばれています。
※[大畠の鳴門] 瀬戸内東の鳴門海峡(徳島)の大鳴門と西の小鳴門と言われる大畠瀬戸、共に渦が急流で船の難所中の難所

「俄祭」の由来

この祭の謂れは、豊後国(大分)より絶世の美女と言われた般若姫が第31代用明天皇(在位585-587)に嫁ぐため海路で都へ進めていた際、瀬戸大畠(現在の大畠)で嵐に遭い、嵐(龍神)を鎮めるため自ら人柱となり治めた伝説を元に約500年前より引き継がれてきた祭といわれています。
この祭では用明天皇の悲しみを男神である海原神社で、般若姫を女神である鳴門神社で奉ります。
※用明天皇の子には厩戸皇子(聖徳太子)、兄弟は隋に派遣(遣隋使)した推古天皇
大畠俄まつり2019-194
祭は旧暦の8月23日の直前の日曜日と決まっており、令和元年は9月15日(日)に執り行われました。
尚、現在の祭の形態は昭和初期の頃に豊漁を祈願する「漁師祭り」が起源とされています。

「俄祭」という祭の呼び名

それにしても祭の呼び名である「俄」(にわか)ですが由来については分かっていません。
推測になりますが、「俄」には「にわか雨」に代表されるように"突然"という意味で使われますが、もう一つ「俄」には言葉の使い方が在るようで江戸時代に京都や大阪の庶民の間で即興で芸事(狂言)を行うことを「俄」と言ったようです。
つまり本神事の背景には伝説がありその物語を祭の上で演じる(奉じる)ことから、そのように呼ぶようになったのではないかと推測しています。
※他地域では、石川県能登町には「にわか祭」と言われる祭があります。

特徴ある神輿のねり歩き

大畠俄まつり2019-19
この祭の見どころ「神輿のねり歩き」は、午前10時に鳴門神社より男衆が「ちょうさじゃ、ちょうさじゃ」と掛け声をかけながら男神輿を左右に叩き付けながら練り歩き15時頃に海原神社へ。
神輿を大きく傾け地面に叩きつけますが、その際に地面と神輿の間に潜ることもひと昔前はやっていたそうです。
大畠俄まつり2019-178
海原神社を経ち子供神輿と合流し浜へ、潮が満ちる頃、神輿は最高潮を迎え神輿ごと入水。
地元の子供たちが担ぐ神輿(女神輿)と浜(大畠ふれあいビーチ)で会う二つの神輿(男神輿と女神輿)は、海中でもまれる光景や、神輿が海辺を右往左往する姿は、海辺で用明天皇が后の般若姫に思いを馳せる姿を表しているとも言われているようです。
※神輿を叩きつける祭は、偶然なのでしょうか他地域では石川県能登町の「キリコ祭り(あばれ祭)」があるようです。
大畠俄まつり2019-144

神輿のねり歩き時間

10:00 鳴門神社 出発 練り歩き
13:00 鳴門神社 出発 海原神社へ
13:30 石神橋 到着
14:00 般若姫道中 鳴門神社下より出発
15:00 海原神社 出発
16:15 大人神輿、子供神輿 出発
16:30 入水 "大畠ふれあいビーチ"
16:50 浜より※以降、鳴門神社への復路は未参加のため不明。灯篭の中の帰路はまた勇壮で格別とのこと。
※令和元年開催の時間(公表されていない時間も参考として記載しています)
大畠俄まつり2019-216
屈強の男衆とは言え巡行を行う距離と激しい乱舞のため足袋(たび)の履き替えを何度も行うそうです。その激しさ故、道中に怪我や状態のケアをしながら祭をまい進されているようです。
最近は担ぎ手が少なくなったため、担ぎ手の募集をネット上で行ったりとご苦労されたとのことですが、チームワークよく尽力し魅力的な神輿を披露されていました。
大畠俄まつり2019-40
この祭、見る人を魅了する大変貴重で素晴らしい神事。
今回の祭には、町の人はもちろん広島や山口市・防府市からも来られていたようです。

町の佇まいが昭和の風情を残すとてもノスタルジックな風景と共に由緒ある歴史のある地域。
町の散策もとても魅力的な場所です。
大畠俄まつり2019-135

参考にさせて頂いたウェブサイト等