第501飛行隊に幕
先日のことになりますが...令和2年3月9日に茨城県にある航空自衛隊百里基地(茨城空港 併設)では、59年の長きにわたり偵察を主とする航空部隊の運用を行ってきた第501飛行隊RF-4E/EJの引退セレモニーが静かに、でも多くの隊員たちに見守られる中、盛大に執り行われたようです。
偵察航空隊第501飛行隊やRF-4E/EJへの多大なる労いメッセージありがとうございました。皆さまから多くの反響を頂き、飛行訓練終了セレモニーの映像を編集いたしました。RF-4E/EJの滑走シーン、迫力のあるエンジン音及びカッコイイ隊員の雄姿を是非ご覧ください。#偵察航空隊 #第501飛行隊#RF4 pic.twitter.com/LU7Qv6vOhn
— 航空総隊司令部 (@JASDF_adc_pao) March 12, 2020
百里基地を舞台にF-4を撮り続けYouTubeで配信されている「1-300 channel」さんが、この度のラストフライトをテーマにとても素敵な動画を作成されていますのでご紹介致します。
※リンク(インフレーム)の許可を頂いて掲載させて頂きました。
偵察航空隊
第501飛行隊は、1961年に松島基地(宮城県東松島、現ブルーインパルスの)に発足、翌年から入間基地に移動。当時の機体はRF-86Fで運用されていました。この度の第501飛行隊はベトナム戦争の時代に開発・運用されたF-4ファントムをベースに、偵察任務を目的に(光学式カメラや赤外線装置など)に改良したRF-4E/EJを運用する国内唯一の部隊であり、その活躍と共に多くの航空ファンを魅了してきました。この度のラストフライトに合わせ各機体には、「1961-2020」と「ネガフィルム」をあしらったデザイン帯が入れらています。
(部隊マークのウッドペッカ―2015年10月撮影)
また、この飛行隊は「見敵必撮」のスローガンを元に偵察任務のみならず、東日本大震災(2011)、西日本豪雨(2018)、2019年の関東に災害をもたらした台風など、災害時にいち早く空に舞い上がり空撮を行う活用もされて来ました。これらの撮影された情報はニュースフィードなどで幾つか目にしてきたと思います。
しかし、いくら日本の整備技術が高度と言えども古い機体の部品の調達や実務に必要なテクノロジーの陳腐化などの時代背景から、自衛隊としては継続運用しない方針となりこの度の引退となりました。
偵察を運用する部隊は、無人機(グローバルホーク)やF-35A/B等にとって代わる予定となっているようです。
令和2年3月9日、偵察航空隊第501飛行隊は長く厳しい飛行訓練を無事終了しました。多くの隊員が出迎える中、盛大なセレモニーが行われ退役するRF-4E/EJを労いました。また、偵察航空隊は今年度に約59年の歴史に幕を閉じます。#偵察航空隊 #第501飛行隊 pic.twitter.com/wJrgMFpZam
— 航空総隊司令部 (@JASDF_adc_pao) March 9, 2020
最後の部隊長を務めた岡田さんは光市出身
航空総隊司令部直轄である偵察航空隊第501飛行隊を率いる最後の部隊長となった岡田智光2等空佐は、光市の出身。岡田さんは、光市内の中学校(剣道部)を卒業後、県内の高等学校(弓道部、現5段)に進学。
卒業後、航空学生として航空自衛隊の門を叩く。中学校在学中には既にその進路は見定めていらっしたようです。
その後、航空自衛隊幹部候補生学校を経てF-4パイロットとしてファントムと共に航空自衛隊人生を歩み航空自衛隊幹部として今に至る。
尚、同基地(第7航空団兼百里基地)の司令でいらしゃる佐川空将補も山口県出身の方。
本記事で使用した画像は、2015年10月に開催された百里基地航空祭で撮影したものを使用しています。