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お祇園さま 島田人形浄瑠璃 奉納上演 

今年の奉納上演のポスター、インパクトあり過ぎますよね!(下記画像)
光市民ホールで開催される島田人形浄瑠璃についてご紹介いたします。

島田人形浄瑠璃芝居保存会は、昭和39年(1964年)に設立され今年で55年目。
県指定無形民族文化財には昭和51年(1976年)に指定され、毎年この時期の8月4日と5日に市民ホールで開催しています。

この上演は、祇園社(松浦神社)への奉納としてこの8月4日と5日に毎年上演されますが、謂れは室町時代(1336年~1573年)の応仁2年(1467年)まで遡るようです。

この時代、地域に流行った疫病を治めることを祈願し、満月の夜を徹して農民が胡瓜に着物を着せ浄瑠璃を奉納したことで疫病が治まったことに由来、この祈念した日が旧暦の6月15日の満月の日であったため以来毎年8月4日と5日(新暦での上演は昭和39年から)に奉納上演することに決まっているそうです。
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(出典:光市文化財団 光市民ホール

島田人形浄瑠璃芝居 奉納上演 開催概要

開催日 8月4日(土)、5日(日)
開始  19:00~21:00
開場  光市民ホール(小ホール)
入場料 無料
主催  島田人形浄瑠璃保存会事務局
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上演外題

4日(初日)
・伽羅先代萩 御殿の段
・壺坂観音霊験記 沢市内より山の段
5日(千秋楽)
・絵本太功記 尼ケ崎の段
・菅原伝授手習鑑 寺子屋の段

島田人形浄瑠璃芝居について

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現存する人形浄瑠璃は大阪の文楽(国立文楽劇場)をはじめとして各地にあります。
この人形浄瑠璃が繁栄した時期は文化にとっても安定期であった江戸初期に三味線音楽と結びつき人形浄瑠璃として体系化された。それ以前は人形芝居が主流だった。さらに大阪の文楽が江戸時代に昇華した背景には近松門左衛門等の今で言う「脚本家・シナリオライター」の存在そして活躍が大きかったようです。
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では、島田人形浄瑠璃はどの様にして伝統を守ってきたのでしょうか。
室町時代から今までの長きに渡り受け継がれてきたには理由があるようです。これについて、県ウェブサイトに受け継がれてきた理由の記載が有りましたのでご紹介いたします。以下転載

"この地は古くから「島田百軒」といわれ氏子100戸をもち、これらの人々によって「座」が組織され、経営されて今日に至っている。「座」には20数戸の「本頭」という家柄のものがあり、代々世襲として人形遣い、浄瑠璃の語り手を務めてきた。この外本頭以外の氏子70戸のうちからくじ引で4戸を「脇頭屋」に決め、その年の芝居の小屋掛、その他の雑事にあたらせた。またその奉納芝居の経営については、春は麦、秋は籾を一升ずつ、氏子中から集めてこれにあてた。その年の全体の維持管理は「本頭」及び「脇頭」のうちからくじ引きで選出された2名の「当屋」がこれを司った。昭和30年境内に約30坪の恒久的舞台を建てて以来、奉納行事は、氏子全体で当ることとなった。
各語り手、面使いは世襲として伝習している。現在世襲の本頭は26家島田市に在住している。"
(引用:山口県ウェブサイト 山口県の文化財

尚、使われる人形は古くは1790年代に作られた人形も保存し大切に使われています。備品と言うべきか長きに保存されている"道具"も含め観賞されることをお勧めします。

島田人形浄瑠璃芝居 保存会
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「お祇園さま」松浦神社

島田 熊野神社の隣にもう一つお社があるのは皆さまもご存じのはず。松浦神社と言いますが、その昔は八坂神社から勧請された「祇園社」に由来する。
京都の八坂神社は四条通りにあり、舞妓さんや芸子さんが集まる祇園からほど近いため多くの芸子さんが通う神社として有名。その地から敬愛をこめて”お祇園さま”という。
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松浦神社の歴史
  • 慶安3年(1650年)頃 代官吉原氏、他有志にて京都八坂神社より勧請し祇園社建立
  • 嘉永6年(1815年)  大火で祇園社焼失、廃社予定だった玖珂広瀬の松浦神社を勧請し、祇園社を合祀した上で松浦神社として今日に至る
御祭神
  • 牛頭天王(こずてんのう)
  • 櫛稲田姫(くしなだひめ)※ヤマタノオロチ伝説をご参照~
  • 御子神八柱「八柱御子神」(やはしらのみこがみ)
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