
上関 氏神明祭
平成31年1月27日(日)に開催された「神明祭」(しんめいさい)。この神事(祭)は古くは400年以上前より小正月に執り行われたおまつりを"竈八幡宮"(かまどはちまんぐう)及び"かまどがせき会"が中心となって復元した祭となります。
・下記マップは「上関8区」を差していますが、その場所から南(下)へ行った港湾の埋め立て地(沖の浜埋立地と言う)で祭は執り行われます。
・竈八幡宮は「上関8区」より北へ直線で約150m先
神明祭のゆらい
戦国武将だった小早川隆景(毛利元就の三男、竹原・沼田小早川当主)が戦勝祈願のために始めた神事を当家の重臣だった浦景継が1604年に上関を領収(知行地)した頃より、この祭がこの地で始まったとされています。※元々浦氏は阿月が領主
※給付された土地を「知行地」という。大名の場合は「領分」、将軍家臣の大名の場合は「領主」、旗本は「知行地」と呼んでいた。
この祭の最も象徴的な大きな2体の松明。
これは御神体で、松の葉で飾った「男神明」とシイの葉で飾った「女神明」で構成され高さ約10m。
子供たちによる弓引き(矢尻に火)による着火となりますが、南からの風が煽り勢いよく火が回り、その豪快に燃えていく様はとても見応えがあります。

竈八幡宮とかまどがせき会では、お祭の継続のために「御奉賛」のお願いをされていましたので合わせてこちらに記載しておきます。
柳井「阿月神明祭」は、平成31年2月11日に開催され、こちらも御神体は2体。
※重要無形民俗文化財(こちら)
この模様を動画に致しましたので下記YouTubeをご覧ください。
上関(竈戸関)の由来
熊毛半島に位置する上関。古来より周防灘、安芸灘、豊後水道を結ぶ要衝の地であり、多くの文化が行き交う港町でした。平安から室町中期にかけては"竈戸関"「かまどがせき」と呼ばれていました。その後(1445年)東大寺への年貢船の記録で初めて「上関」という呼び名が出てきており、その後より使われているそうです。※都に近いため上関、逆に遠くなるため「下関」。中ほどにある三田尻は「中関」と言う。
