伊保木文化祭_006

伊保木地区のコミュニティセンターで行われた文化祭。

文化祭はコンパクトですがとても面白い。
日頃の成果発表すべく演台に上がる方の伸び伸びとした発表はこちらも和む。
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また、外では伊保木米で作った炊き込みご飯や芋煮が来る人に振る舞われ最後のフィナーレは「ザ・餅まき」。
先日の準備の様子からご察し頂けると思いますが、豪快に撒かれてました 笑
伊保木文化祭_穂の舞伊保木文化祭_057

さて本題ですが、以前からお聞きしていた劇団 和楽輪楽一座の「杜子春」(わらわらいちざ の とししゅん)ですが、完成度が非常に高く引き込まれました。
動画にしましたのでご覧ください。無論Liveで観る方がいいです。



【補足】
「杜子春」とは、芥川龍之介の短編小説。

【あらすじ】(以下wikipediaからの引用)
”唐王朝の洛陽の都。ある春の日の日暮れ、西門の下に杜子春という若者が一人佇んでいた。彼は金持ちの息子だったが、親の遺産で遊び暮らして散財し、今は乞食同然になっていた。
そんな彼を哀れんだ片眼すがめ(斜視)の不思議な老人が、「この場所を掘る様に」と杜子春に言い含める。その場所からは荷車一輌分の黄金が掘り出され、たちまち杜子春は大富豪になる。しかし財産を浪費するうちに、3年後には一文無しになってしまうが、杜子春はまた西門の下で老人に出会っては黄金を掘り出し、再び大金持ちになっても遊び暮らして蕩尽する。
3度目、西門の下に来た杜子春の心境には変化があった。金持ちの自分は周囲からちやほやされるが、一文無しになれば手を返したように冷たくあしらわれる。人間というものに愛想を尽かした杜子春は老人が仙人であることを見破り、仙術を教えてほしいと懇願する。そこで老人は自分が鉄冠子(小説『三国志演義』などに登場する左慈の号)という仙人であることを明かし、自分の住むという峨眉山へ連れて行く。
峨眉山の頂上に一人残された杜子春は試練を受ける。鉄冠子が帰ってくるまで、何があっても口をきいてはならないのというのだ。虎や大蛇に襲われても、彼の姿を怪しんだ神に突き殺されても、地獄に落ちて責め苦を加えられても、杜子春は一言も発しなかった。怒った閻魔大王は、畜生道に落ちた杜子春の両親を連れて来させると、彼の前で鬼たちにめった打ちにさせる。無言を貫いていた杜子春だったが、苦しみながらも杜子春を思う母親の心を知り、耐え切れずに「お母さん!」と一声叫んでしまった。
叫ぶと同時に杜子春は現実に戻される。洛陽の門の下、春の日暮れ、すべては仙人が見せていた幻だった。これからは人間らしい暮らしをすると言う杜子春に、仙人は泰山の麓にある一軒の家と畑を与えて去っていった。

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